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三笠公園
みかさこうえん
神奈川県横須賀市稲岡町82
Tel 046-824-6291
 三笠公園は「日本の都市公園100選」「日本の歴史公園100選」に選ばれた横須賀を代表する公園です。「水と光と音」がテーマの噴水は音楽に合わせて噴水が上下に踊り、色も変化して美しく、高さ18mのモニュメントの豪放な壁泉、園内を静かに流れるせせらぎなどがあって安らぎを与えてくれます。
 昭和元年(1926)に軍艦「三笠」が固定保存されました。この艦は明治37年(1904)からの日露戦争で連合艦隊旗艦を務め、連合艦隊司令長官の東郷平八郎大将らが座乗しました。日本海海戦でロシアのバルチック艦隊を打ち破った戦艦です。
 艦内は見学することができます。東郷平八郎の司令官室や「本日天気晴朗なれども波高し」を発信した電信室なども見ることができます。平成21年(2009)から放映された「坂の上の雲」に戦艦「三笠」が登場し、撮影ロケ地となりました。



観音崎公園
かんのんざきこうえん
神奈川県横須賀市鴨居
Tel 046-843-8316 ビジターセンター
 観音崎公園は三浦半島のほぼ東端、東京湾内に大きく突き出た岬にあります。砂浜や磯場があって大勢の人が来ていました。公園広場の展望台からは浦賀水道を行き交う、様々な船舶が見えます。遠くには対岸の房総半島もうっすらと確認できます。
 観音崎公園には観音崎自然博物館、横須賀美術館、砲台跡、観音崎灯台などがあります。このあたりはタブノキ・シロダモなど大木の照葉樹林に恵まれ昆虫、鳥類もたくさん生息する広大な敷地をもつ自然公園です。
 観音崎公園には「ネットトランポリン」、「うみの子とりで」といういくつも連なった子供用の遊具やアスレチックなどもある広大な県立公園です。公園の端から端まで歩くと40分以上かかる広さです。
 毎年11月3日の文化の日に観音崎のお祭り「観音崎フェスタ」が開催されています。メイン会場の観音崎園地を中心に、サブ会場の観音埼灯台・横須賀美術館・観音崎自然博物館等で盛り沢山のイベントが行われます。

 観音崎灯台は明治2年(1869)に建造されました。白色八角形の中型灯台で、日本の灯台50選に選ばれています。日本初の洋式灯台で、この灯台の着工日を記念して11月1日が灯台記念日に指定されています。
観音崎灯台
 慶応2年(1866)、アメリカ、イギリス、フランス、オランダと結んだ「改税条約」(江戸条約)によって建設を約束した8ヶ所の灯台(条約灯台)の1つで、最も早く完成・点灯しました。高さは19mで光の到達距離は37kmに及ぶそうです。航海の安全と無事を見守っています。
観音崎灯台




城ヶ島公園
じょうがしまこうえん
神奈川県三浦市三崎町城ヶ島
Tel 046-881-6640 城ヶ島公園管理事務所
 城ヶ島公園は目の前に海を見下ろす石畳の遊歩道が続く公園です。城ヶ島大橋を渡り、三浦半島最南端の城ヶ島の東半分を占めています。
 公園内の松林をぬけると、独特な草原風景が広がります。この景観は太平洋から吹き付ける強風と、降り注ぐ日差しがつくりだしたものです。ほとんどの植物は高くなれず、クロマツも風をさけるように島の内側に傾いて枝を伸ばしています。
 公園の西、外洋に面したあたりでは、荒波が作り出した海蝕崖がみられます。「馬の背洞門」とよばれる天然の洞門もあります。展望台からは水平線の向こうに房総半島や富士山を望むことができます。



円覚寺
えんがくじ
神奈川県鎌倉市山ノ内409
Tel 0467-22-0478
 円覚寺は鎌倉時代、禅宗に深く帰依していた第8代執権、北条時宗が、元寇の戦死者を慰霊するために、中国の高僧、無学祖元(むがくそげん)を招き弘安5年(1282)に創建しました。時宗は弘安7年(1284)に他界し、この円覚寺に葬られ、塔頭仏日庵にその廟所があります。
 約6万平方mという寺域は、全体が国の史跡に指定されています。門に至る杉木立の階段が印象的です。鎌倉5山第2位で臨済宗円覚寺派大本山です。
 本尊は木造釈迦如来坐像です。度重なる火災により衰退しましたが、小田原城主や江戸幕府により復興しました。 現在の建物は関東大震災以後に修復されました。
 広大な境内には総門、山門、仏殿、方丈などの伽藍が一直線に並び、多くの塔頭寺院が建つ並びます。緑深い山ノ内の谷戸に抱かれた境内は、いつも美しい花を楽しむことができます。境内には国宝の洪鐘(梵鐘)や舎利殿などがあります。
 夏目漱石や島崎藤村も参禅した帰源院(きげんいん)や仏日庵(ぶつにちあん)、黄梅院(おうばいいん)など18の塔頭が山かげにひっそりと点在しています。

 円覚寺の洪鐘(おおがね)は建長寺の梵鐘とともに、昭和28年(1953)11月14日、国宝に指定されています。総高259.4cm、口径142cmで、鎌倉時代の代表的な形の梵鐘です。
円覚寺の洪鐘
 正安3年(1301)鎌倉幕府9代執権北条貞時が、2度に渡る蒙古襲来で衰退した国家の安泰と民の幸せを祈り、物部国光に鋳造させました。「風調雨順 国泰民安」という願文が刻まれています。鋳造を頼まれた物部国光は、大鐘のため二度失敗したそうです。北条貞時は、7日7夜江ノ島弁財天に参籠し、その加護によって3回目に成功したそうです。
円覚寺の洪鐘

 舎利殿は神奈川県唯一の国宝建造物です。境内の奥に位置する塔頭(たっちゅう)正続院の中にあります。舎利殿は入母屋造、こけら葺きです。一見2階建てに見えますが一重裳階(もこし)付きの建物です。
舎利殿
 堂内中央には源実朝が南宋から請来したと伝える仏舎利(釈尊の遺骨)を安置した厨子があります。その左右には地蔵菩薩像と観音菩薩像が立っています。舎利殿は鎌倉市西御門にあった尼寺太平寺(廃寺)の仏殿を移築したもので、15世紀(室町時代中期)の建築と推定されています。
舎利殿



明月院
めいげついん
神奈川県鎌倉市山ノ内189
Tel 0467-24-3437
 福源山明月院は、臨済宗建長寺派のお寺です。明月庵は、平治の乱(1159年)にて戦死した首藤刑部大輔俊道の菩提供養のため建立されました。この後、北条時頼がこの地に最明寺を建立し、その子時宗によって禅興寺が再建されました。
 足利義満の時代、この禅興寺は関東十刹の一位となり、明月庵は明月院と改められ、支院の首位となりました。しかし禅興寺は、明治初年に明月院を残して廃寺となり、明月院はあじさい寺として有名になりました。このあじさいは第2次大戦後に植えたものでそれほど古い物ではないそうです。
 宗猷堂(開山堂・そうゆうどう)には、密室守厳の木像を安置しています。 そのそばには鎌倉十井の一つ瓶ノ井(つるべのい)″があります。
  また山際に掘られた明月院やぐらは鎌倉時代最大のものです。上杉憲方の墓とされる宝筺印塔が内部にあります。



建長寺
けんちょうじ
神奈川県鎌倉市山ノ内8
Tel 0467-22-0981
 建長寺は、円覚寺と鶴岡八幡宮のちょうど中間あたりにあります。建長寺は巨福呂山建長興国禅寺といい、鎌倉5山の第1位とされる臨済宗建長寺派の大本山で、鎌倉で最も大きなお寺です。伽藍配置は中国式で総門・三門・仏殿・法堂・方丈が一直線に連なる禅宗様式です。
 建長5年(1253)に後深草天皇の勅命で鎌倉幕府5代執権北条時頼(1227-1263)が建立したわが国最初の禅寺です。境内は「建長寺境内」として国の史跡に指定されています。梵鐘は国宝です。山門、仏殿、法堂、昭堂、唐門、大覚禅師塔(石造無縫塔)は国の重要文化財に指定されています。
 建長寺を開山した蘭渓道隆(1213−78)は、中国の高僧無明慧性に学び、寛元4年(1246)、33歳の時に来日し、九州、京都を経た後、鎌倉に入り北条時頼に請われて建長寺に迎えられました。
  蘭渓道隆は、中国宋時代の純粋で厳しい禅風をそのまま導入し、一時は千人を超える修行僧を指導したそうです。寺内では日常的に中国語が使われていたそうです。文永の役の際には中国のスパイと疑われ流されましたが、再び建長寺住持になっています。

 建長寺の総門は、江戸時代の天明3年(1783)に京都の般舟三昧院で建立されたものを昭和15年(1940)に移築したものです。「巨福山」と書かれた額は、建長寺第10世の中国僧、一山一寧(一山国師)禅師の筆です。
建長寺総門

 建長寺の三門には楼上に五百羅漢などが安置されていて、この門の下を通ると心が清浄になるといわれています。三解脱門を意味していて、空・無相・無作を表しこの三門をくぐることによってあらゆる執着から解き放たれるそうです。銅板葺きの二重門で、安永4年(1775)に建てられたものです。平成17年(2005)に国の重要文化財に指定されています。
建長寺三門

 仏殿には建長寺の本尊である地蔵菩薩を安置しています。現在の建物は、創建当初より4代目になり、正保4年(1647)に芝の増上寺にあった徳川2代将軍秀忠公夫人(お江の方)の霊屋を建長寺が譲り受けたものです。寄棟造で単層裳階が付いた建物で国の重要文化財に指定されています。
建長寺仏殿

 建長寺唐門は屋根が唐破風になっている門で、方丈の正門になり、勅使門ともいわれます。仏殿と同じく芝の増上寺より正保4年(1674)に移築されたものです。仏殿と同じく、徳川秀忠夫人崇源院霊屋だったものです。
建長寺唐門

 建長寺の法堂(はっとう)は文化11年(1814)に再建されたもので、国の重要文化財に指定されています。関東最大の法堂で、現在は千手観音を本尊としています。昔は、建長寺全体が修行道場であり、僧侶全員がこの法堂に集まって、住持の上堂説法を聞き、修行の眼目としました。
建長寺法堂

 建長寺方丈は竜王殿とも呼ばれています。方丈は本来は住持が居住する場所ですが、現在は法要、座禅、研修の場所として使われています。この建物は、総門と同じく京都の般舟三昧院より昭和15年(1940)に移築されたものです。建物は享保17年(1732)の建立です。庭園は夢窓疎石の作といわれています。
建長寺方丈

 建長寺梵鐘は三門右手の鐘楼に架かっています。円覚寺の洪鐘(おおがね)とともに国宝に指定されています。高さは約2.1mあり、建長寺創建当時の数少ない遺品の1つです。建長7年(1255)、鋳物師物部重光が鋳造したものです。
建長寺梵鐘
 銘は蘭渓道隆が撰(作文)し、筆を執ったもので、文字は陽鋳(字形が彫り込まれるのではなく立体的に浮き出している)となっています。撞座の位置が高い点など、全体に復古的な作風を示す鐘です。銘文中の「建長禅寺」は、日本における「禅寺」という語の最初に使われた言葉です。
建長寺梵鐘

 全国にイブキ(ビャクシンあるいはシンパク)の巨木は多くありますが建長寺のビャクシン(柏槙)は日本で有数な巨樹のひとつです。仏殿前にあり、開山蘭渓道隆が中国から持ってきた種子を建長寺創建の際にまいたと伝えられています。
ビャクシン
 樹高13m、目通り幹周り6.5mで推定樹齢730年といわれています。神奈川県指定の 天然記念物で、神奈川県の「名木100選」にも数えられています。
ビャクシン



鶴岡八幡宮
つるがおかはちまんぐう
神奈川県鎌倉市雪ノ下2丁目1ー31
Tel 0467-22-0315
 鶴岡八幡宮は鎌倉の武士の守り神である神社です。康平6年(1053)源頼義が奥州を平定して鎌倉に帰り、由比ヶ浜辺に源氏の氏神として八幡宮を祀ったのが始まりです。その後、頼朝は現在の地に移し、建久2年(1191)に鎌倉幕府にふさわしい上下両宮の現在の姿にしました。
 頼朝は、この頃すでに天下を治め、鎌倉は事実上、京都と並んで政治文化の中心となっていましたので、鶴岡八幡宮は関東の守護、国家鎮護の神社となりました。
楼門
 仁徳天皇などを祀る素晴らしい権現作りの若宮(下宮)、徳川家斉が再建した流権現造の本宮(上宮)、源頼朝と源実朝を祀る白旗神社、承久の乱に出陣の旗揚げを行った旗上弁財天社、静御前が舞ったという舞殿などが点在しています。
舞殿
 境内の中にある御神木の大銀杏(おおいちょう)は、樹齢800年とも1000年ともいわれています。鎌倉時代、源頼家の子である公暁がこの銀杏の木に隠れて待ち伏せ、源実朝を殺害したという伝説もあります。
大銀杏
 鎌倉幕府衰退後は、25の僧坊の数も減少し、一時衰退しました。江戸時代に入ると江戸幕府の庇護を受け、仁王門、護摩堂、輪蔵、神楽殿、愛染堂、六角堂、観音堂 法華堂、弁天堂などが建てられました。徳川家光の時には薬師堂、鐘楼、楼門なども建てられました。また境内には、方五間の多宝大塔、東照宮も存在していました。
 明治維新までは神仏習合して八幡宮寺と呼ばれ30以上の堂宇を構えていましたが、廃仏毀釈で多宝大塔などの仏堂は破壊され、仏像、仏具、什宝、経典なども破壊・焼却処分されてしまいました。
 85000平方mある鶴岡八幡宮境内は国の史跡に指定されています。鶴岡八幡宮 大鳥居(一の鳥居)、末社丸山稲荷社本殿、摂社若宮、上宮 本殿、幣殿及び拝殿、上宮 回廊、上宮 末社武内社本殿は国の重要文化財に指定されています。

鎌倉国宝館
 鎌倉の鶴ヶ岡八幡宮境内にある鎌倉国宝館は、昭和3年(1928)に竣工しました。大正12年(1923)の関東大震災で鎌倉も大きな被害を受けました。円覚寺の仏殿が倒壊したのを始め、貴重な文化財が罹災したことから、耐震・耐火の収蔵・展示施設を建てることになったものです。
鎌倉国宝館
 鶴岡八幡宮だけでなく、鎌倉市内の各社寺が所蔵する仏像、工芸品、書画、古文書など貴重な文化財4800点余りを保管、展示しています。建長寺の「蘭溪道隆像」(国宝)や鶴岡八幡宮の「弁才天坐像」(重要文化財)なども展示されています。
鎌倉国宝館



源頼朝墓所
みなもとのよりともぼしょ
神奈川県鎌倉市西御門
 大蔵幕府跡が一望できる大倉山中腹に頼朝の持仏堂であった法華堂跡があります。ここから石段を50数段上ると源頼朝の墓があります。高さ約2mの多層塔で、国の史跡に指定されています。。玉垣に囲まれ、五輪塔の笠石を5枚積み重ねています。
 頼朝は建久10年(1199)に53歳で亡くなりました。前年の暮れに、 御家人稲毛重成 が亡妻の追善供養のため 相模川に架橋 し、頼朝はその落成式出席し、その帰路に落馬した事が原因とされています。



寒川神社
さむかわじんじゃ
神奈川県高座郡(こうざぐん)寒川町宮山3916
Tel 0467-75-0004
 寒川神社は神亀4年(727)、社殿建立といわれる、相模国の一之宮です。源頼朝をはじめとした武将たちの信仰が厚かった神社です。鎌倉以後も、小田原北条氏、武田信玄、徳川家康など多くの武家の崇敬を集めました。行軍中の武田信玄が立ち寄り、身に着けていた兜と太刀を奉納しています。
 祭神の寒川比古命と寒川比克命は、関八州の厄よけの守護神であるといわれ八方除けの神として有名です。全国から地相、家相、方位、日柄等の災いをよける御神徳の八方除祈願の参拝者が絶えません。
 テレビ界では古くから「視聴率祈願の神社」として知られ、新番組開始前に視聴率獲得を祈願して参拝を行うようです。
 歴史を感じさせる広大な敷地の中に本殿を始め21もの伽藍が並んでいます。現在の社殿は平成9年「平成の御造営」として改築されました。
 9月19日、20日に催される例大祭では、鎌倉時代から続く流鏑馬の神事、献茶、献句、武道などが奉納され、多くの参拝客で賑わいます。



相模湖公園
さがみここうえん
神奈川県相模原市緑区与瀬
Tel 042-684-3276
 相模湖は、昭和22年(1947)の相模ダム完成とともに生まれた人造湖です。その湖畔にあるのが県立相模湖公園です。四季折々の美しさを映し出す湖面は、訪れる人の心を和ませてくれます。特に桜は見事でした。
 この公園は、昭和39年(1964)の東京オリンピックのときにカヌー競技の会場になり、以来、漕艇やカヌーの競技の場として有名になりました。



長谷寺(飯山観音)
ちょうこくじ(いいやまかんのん)
神奈川県厚木市飯山5605
Tel 046-241-1635
 飯上山長谷寺(いいがみさんちょうこくじ)は神亀2年(725)、僧行基(ぎょうき)によって創建されたという古刹です。板東33ヶ所観音霊場第6番であり、通称飯山観音の名で知られています。
 門前に「梵鐘の余韻若葉の峡渡る」と刻まれた石碑があります。
 このお寺は、縁結びの観世音として知られています。4月8日の本尊開帳の日に、広場の見合いの松や夫婦松でお見合いをすると縁談まとまるそうです。そして縁組みの成就した夫婦の御礼参りの風習が今でもあるそうです。
 長谷寺は建久年間(1190〜99)に、源頼朝が堂宇を造営させたのが始まりと伝えられます。本堂は江戸中期の建物で桁行5間(39尺)、梁間5間(39尺)の正方形平面を持つ銅板茸の宝形堂です。
 正面中央間とその両脇間は両折桟唐戸、両隅間は連子窓という古風な構えです。側面は前一間を両折桟唐戸としていて四周には木口縁をめぐらして擬宝珠高欄をまわしています。厚木市の有形文化財に指定されています。
 内陣には寛文12年(1672)に旧飯山村の大工西海氏によって造られた市の重要文化財の厨子が安置されています。その中に縁結びに霊験あらたかな本尊の十一面観世音(約180cm)像が納められています。その体内には行基が楠の一木で彫った尊像が納められているそうです。
 観音堂に向かう途中、階段を登った右手に鐘堂があります。銅鐘は厚木市指定重要文化財に指定されています。

飯山観音のイヌマキ
 仁王門の上には、樹齢400年といわれる飯山観音のイヌマキの大木が見られます。室町時代末期ごろ、多くの巡礼者の無事や、参拝者の長寿を祈願して植樹されたそうです。
飯山観音のイヌマキ
 この木は高さ17m、枝張り11m、枝下3.2m、太さ2.53m、樹齢400年といわれています。神奈川の名木100選に入っていて、市指定天然記念物でもあります。

カイの木(ウルシ科)
 楷、または孔子木ともいわれる中国原産の落葉樹です。中国では孔子廟に植えられているそうです。日本では「親孝行の木」と呼ばれているそうです。
カイの木
 周りには三十三観音が配置されアジサイがきれいに咲いています。飯山観音は古来より縁結びの観音として熱心な信者が多いところです。



日向薬師
ひなたやくし
神奈川県伊勢原市日向1644
Tel 0463-95-1416
 日向薬師は日本三大薬師の一つです。「日向山霊山寺(ひなたさんりょうせんじ)」と称し、元正天皇の霊亀2年(716)、僧行基が開きました。
 古く「吾妻鏡」にも出てくるお寺です。かっては12坊の子院を有した大寺院でした。霊山寺は歴代天皇の帰依を得ました。
 元正天皇の時代には勅願寺として栄えた格式の高い寺院でした。 明治初期の廃仏毀釈(きしゃく)で衰退し、宝城坊と薬師堂のみが残っています。旧霊山寺の別当坊である宝城坊が、霊山寺の本堂を引き継いでいます。
 修験道の霊場でもありました。源頼朝や政子なども数回参詣しています。本堂、薬師三尊像、阿弥陀如来像など重要文化財を含む寺宝を蔵しています。
 本尊は行基作といわれる薬師瑠璃光如来(116.6cm)です。脇待・日光菩薩(123.3cm)、脇待・月光菩薩(123.9cm)を合わせて薬師三尊像と呼ばれています。
 他に阿弥陀如来、四天王、薬師如来の守護神で十二支を頭にいただく十二神将など23体もの仏像が宝物殿に納められています。いずれも国の重要文化財に指定されています。
 宝暦13年(1763年)の銘が見つかっている宝城坊の鐘堂があります。市指定文化財の茅葺きの鐘堂の中に梵鐘があります。暦応3年(1340)2月15日の銘の銅鐘です。国の重要文化財に指定されています。
 「宝城坊の幡(はた)かけのスギ」です。
 足利基氏が幡をかけ、平和と幸せ・五穀豊穣を祈った「幡かけの杉」として親しまれています。「宝城坊の二本杉」として県の天然記念物に指定されています。樹齢800年と推定されています。
虚空蔵菩薩
 本堂脇の霊樹のなかに祀られています。 以前は奥の院として日向山山頂下の祠の中に祀られていたそうです。
 国指定重要文化財である現在の堂宇は万治3年(1660)に徳川氏の助力を得て再建された建物です。屋根の茅は平成10年(1998)に葺き替えられています。
 参道は桜の名所としても有名です。日本三大薬師はここと、土佐の柴折薬師、越後の米山薬師だそうです。 



大山寺
おおやまでら
神奈川県伊勢原市大山724
Tel 0463-95-2011
 天平勝宝7年(755)、奈良の東大寺を開いた良辨僧正が開いた古刹です。第3世には弘法大師が入山して、数々の霊場を開きました。元慶8年(884)第5世の慈覚大師の高弟・安然が入り、伽藍を再興、華厳、真言、天台の8宗兼学の道場としました。
 以後、丹沢山系の中心道場として広く各地に知られることになりました。別当八大坊始め、僧坊18ヶ院末寺3、御師300坊の霊山として栄えました。本尊鉄造不動明王(秘仏)は国宝です。



最乗寺
さいじょうじ
神奈川県南足柄市大雄町1157
Tel 0465-74-3121
 大雄山最乗寺は応永元年(1394)了庵慧明(りょうあんえみょう)禅師が開いた寺です。明神ヶ岳の中腹にあり、杉並木は県の天然記念物に指定されています。
 仁王門から境内までの約3kmの間に約1万株のアジサイが植えられていてアジサイ参道とも呼ばれ神奈川景勝50選にも選ばれているところです。
 仁王門のアジサイです。これより3キロに渡り続き、「天狗の小径」と車道とのアジサイ参道が続きます。周りには神奈川県天然記念物に指定されている樹齢450〜600年の鬱蒼とした杉並木が参拝者を迎えてくれます。
仁王門
 最乗寺は南足柄市にある曹洞宗の古刹で永平寺、総持寺に次いで、曹洞宗では全国第三の格式を誇っています。創建に寄与した道了という憎が寺の完成後に天狗(てんぐ)となり、山中に身を隠したという伝承から「道了尊」とも呼ばれています。
 仁王門は参道の3丁目に位置しています。朱色の門「東海法窟」の額と「最乗寺専門僧堂」の聯(れん)を掲げてあり、阿吽の金剛力士像が安置されています。
仁王門
 最乗寺は全国に4千余りの門流をもつ寺です。神奈川県内では大山不動、川崎大師とともに3大名刹に数えられています。本尊は釈迦牟尼仏で、脇侍仏として文殊、普賢の両菩薩を奉安しています。
 開創以来600年の歴史をもつ関東の霊場として知られています。真人打出の修行専門道場です。27万平方mの広い境内に、老杉が茂 り霊気がみなぎっています。30あまりの堂塔が並んでいます。
 開山了庵慧明禅師は、今の伊勢原市付近にに生まれました。地頭でしたが乱世の虚しさを感じ、鎌倉の不開禅師に就いて出家しました。能登総持寺の峨山禅師、丹波永沢寺通幻禅師に学びました。そして各地の寺を回り大本山總持寺に輪住します。
山門
 50才半ばにして相模国曽我の里に戻りました。ある日、一羽の大鷲が禅師の袈裟をつかんで足柄の山中に飛び大松(袈裟掛けの松)の枝に掛けました。その啓示でこの山中に最乗寺を建立したのです。
 僧堂(選仏場)があります。聖僧文殊菩薩を祀るところから僧堂と云われています。修行僧が日夜、坐禅弁道に励む根本道場です。
僧堂
 右の小さな建物が金剛水堂です。開創の時、道了が自ら井戸を掘り土中から鉄印を見つけます。最乗寺重宝、御金印です。その跡から霊泉(金剛水)が湧出し来600年諸病を癒す金剛水と称されています。
金剛水堂
 南足柄市の重要文化財に指定されている多宝塔です。文久3年(1863)建立されています。多宝如来を奉安していて方形層上円形木造2重の塔です。
多宝塔
 本堂の護国殿は、昭和29年に再建されています。間口15間、奥行き12間。昭和を代表する仏教建築家、伊藤忠太氏の設計です。御本尊の釈迦牟尼仏、脇侍に文殊・普賢両菩薩を祀っています。
本堂の護国殿
 1月、5月、9月の27〜28日に大祭が執り行われます。11月27日の鎮火祭には大勢の参詣者で賑わうそうです。
 最乗寺の守護、妙覚道了大薩埋は修験道における満位の行者でした。相模房道了尊者として世に知られた人で、強大な霊力の持ち主であったと伝えられていて、現在でも尊崇を集めています。
 結界門(けっかいもん)より道了大薩の浄域とされています。手前に御供橋(ごくうばし)・圓通橋(えんづうばし)があり、中央に御供橋、両脇に圓通橋が並行しています。御供橋は白装束を身にまとった修行僧が道了様へのお供えをする時に使用する為の橋で、普段は通行する事ができないようになっています。
結界門
 幽玄なおもむきの結界門をくぐると、御神殿内には巨大な天狗の像が見えてきます。広い境内に神聖な静寂が包みます。
 左右にそびえる天狗の像を過ぎると右手に77段の石段が立ちはだかります。永久に寺を守護すると言い残して、天狗になって飛び去ったという500人力の弟子、道了が現れそうです。
 階段の上には御真殿があります。ここは妙覚宝殿(みょうがくほうでん)ともいわれています。最乗寺の守護妙覚道了大薩をご本尊に大天狗・小天狗が両脇侍として祀られています。朝晩の祈祷から日中の特別祈祷が、修行される道場でもあります。
御真殿
 御真殿には高下駄が置いてあります。御真殿脇に奉納された大小の高下駄です。天狗の履き物は高下駄です。これにちなんで境内には多くの下駄が奉納されています。
 下駄は左右一対そろって一人前です。ここから夫婦和合の信仰がうまれました。奉納者が後を絶たないそうです。
 鬱蒼とした老杉に囲れた中、今度は350段余りの階段を登ります。大雄山のもっとも高い所にでます。そこが奥の院です。
 御本地十一面観全音菩薩(当山守護道了大薩の御本地)が奉安されている奥の院です。紫雲閣ともいわれています。
奥の院
 「金太郎のふるさと」でもある足柄は、「古事記」によると足柄道が都と東国を結ぶ官道で した。旅人たちの足柄の歌が万葉集などにも残されているところです。



小田原
おだわら
 東京方面から箱根に向かう玄関口です。戦国時代は北条氏の城下町として栄えました。江戸時代には東海道の宿場町として栄えました。



小田原城
おだわらじょう
神奈川県小田原市城内6−1
Tel 0465-23-1373
 治承4年(1180)石橋山合戦で頼朝の危機を救ったのは土肥氏でした。土肥次郎実平の嫡男遠平が戦功をたて早川荘の総領所になって小早川村(小田原市)に築城しました。それが小田原城の始まりだといわれています。
 応永23年(1426)、上杉禅秀の乱が鎌倉で起きました。大森頼春は鎌倉公方足利持氏を助け、小田原・箱根で 禅秀の軍を破り、乱を平定する功績をたてました。禅秀派の土肥・小早川氏は小田原を追われ、大森氏が入城しました。
 大森氏は5代80年続きました。氏頼の時は全盛で関東を掌握し、文化的にも繁栄しました。しかし、明応4年(1495)氏頼は突然、北条早雲の奇襲により小田原城を去りました。
 北条氏は早雲、氏綱、氏康、氏政、氏直の5代約100年続きました。この北条氏は、鎌倉執権の北条氏と区別し、後北条氏あるいは小田原北条氏と呼ばれました。
銅(あかがね)門
 北条氏は高さ27mの3層大天守と小天守の複合天守を有する小田原城を中心に地域を拡大しました。最盛時には、外郭は城下町を含み東西3km、南北2.2kmに及びました。3代氏康は永禄4年(1561)に上杉謙信の攻撃を受けました。同12年には武田信玄の攻撃も受けたのですがこれを退けました。小田原城が難攻不落の名声が上がりました。
常磐木門(ときわぎもん)
 天正18年(1590)豊臣秀吉は小田原を攻めました。小田原城はビクともしませんでした。秀吉は小田原城西方の笠懸山に石垣山一夜城を築いたり酒宴を開いておびき寄せようとして21万の兵で包囲しましたが小田原は落ちませんでした。
 城内の様子は「北条五代記」に残されています。後に「小田原評定」という優柔不断の論議が繰り返されていたのでした。出撃して秀吉を撃つか、籠城して迎え撃つか延々と軍議が続けられたのです。
 そして、城主氏直は籠城100日もむなしく、ついに秀吉に投降したのでした。数倍の大軍と秀吉の近代的な戦法に屈服したのでした。100年の間、繁栄を誇った小田原北条氏は滅亡しました。4代氏政は切腹させられ、5代氏直は家康の娘を側室に迎えていたことで高野山に流され死は免れました。
 小田原征伐後、城は徳川家康の城となり、大久保氏が入封しました。慶長19年(1614)城代が変わると、家康の命によって城は破却され、三の丸以内に規模が縮小されたのでした。阿部氏、稲葉氏らが入城した後、貞享3年(1686)に大久保忠朝が入城し、以後、大久保氏が治めました。
 城は何度か大地震に遭い、天守倒壊などの被害を受けました。天守は宝永3年(1706)に再建され、明治3年(1870)に解体されるまでは往時の姿のまま存続していました。昭和35年(1960)に復興された38.7mの天守閣が現在は建っています。
 小田原地方は、江戸時代に6回も大地震に見舞われて、天守閣もその都度、大きな被害を受けたようです。北条氏直の時に建てた天守閣は、寛永10年(1633)の地震で崩壊しています。その年に再建されましたが、そのときのものが現在の天守閣の原形となっているそうです。



箱根のアジサイ電車
はこねのあじさいでんしゃ
神奈川県足柄下郡(あしがらしもぐん)箱根町太平山
 箱根町は富士箱根伊豆国立公園の中央に位置し、四季を通して楽しむことの出来る箱根の持つ素晴らしさを求め、毎年国内外からおよそ2000万人の観光客が来遊しています。
 小田原から強羅まで、全長15キロ間を結ぶ箱根登山鉄道は、大正8年(1919)に開通したわが国唯一の本格的登山電車です。昔から難所と呼ばれた箱根だけに急勾配がつづき、途中前後を入替、ジグザグに登って行くスイッチバック式になっています。
 車窓からからは、四季折々の箱根の自然美が楽しめます。6月下旬からは1万株を越すアジサイが沿線に咲き誇ります。約1ヵ月間箱根登山 鉄道は“アジサイ電車”に変わります。
 箱根町宮ノ下にある富士屋ホテルの花御殿には、ジョンレノンなど、著名な外国人もたくさん泊まっています。
 明治11年(1878)創業の本格的リゾートホテルです。世界の著名人を魅了し続ける伝統のフランス料理やサービス、歴史を感じさせるロビーやダイニングの見事な意匠は、今も変っていません
 6月下旬から7月中旬まで箱根湯本駅から強羅駅の間で夜間のライトアップの臨時電車が出ます。土・休日の臨時列車ではライトアップ場所で徐行または停止し、車内照明を落とし、ゆっくりとあじさい鑑賞ができるのです。



箱根強羅公園
はこねごうらこうえん
神奈川県足柄下郡(あしがらしもぐん)箱根町強羅1300
Tel 0460-82-2825
 箱根強羅公園は大正3年(1914)に開園しました。噴水を中心にして、左右対称に造られたフランス式庭園です。
 園内には世界の山地に野生する植物を集めた「高山植物園」、熱帯地方に分布する200種3500株の植物を集めた「熱帯植物館」「箱根自然博物館」などあります。
 大正時代の初めに建てられた、山家の風情の濃い4棟の席から成る白雪洞茶園には、四季それぞれのお茶花も植えられています。
 熱帯植物館は熱帯植物をテーマに、シンボルのキャノンボールツリーなどがあります。名前のとおり(大砲(Cannon)の弾(Ball)を意味する英語)本当にちょうど砲丸くらいのずっしりした実をつけるそうです。
 パイナップルの実もなっています。本来は松 (pine) の果実 (apple)、すなわち「松かさ」(松ぼっくり)を指すものでしたが、18世紀ごろに、似た外見からパイナップルと呼ばれるようになったそうです。
 巨岩から落ちる滝がせせらぎをつくっています。珍しい熱帯の植物、トロピカルムードがいっぱいです。
 色んな種類のブーゲンビレアが見られます。国内最古のブーゲンビレアを中心に本土では見ることの出来ない幹が直径30cmもあろうかと思われる大株もあります。
 日本初の「熱帯ハーブ」を集めた展示温室です。バニラやシナモンなども有名な熱帯ハーブということです。

強羅
ごうら
 早雲山の東斜面に開ける強羅温泉は大正時代、別荘地として開発されました。正面の明星ヶ岳(みょうじょうがたけ)では8月16日大文字焼が行われます。
強羅
 箱根の温泉の中で最も古い温泉は天平時代に発見されたという湯本温泉です。箱根登山鉄道では小田原から箱根湯本を経て強羅まで結んでいます。
強羅

早雲山
 早雲山は鐘状火山で爆裂火口でみる早雲地嶽をもつ山です。早雲山駅は標高767mにある箱根登山ケーブルカーの終点駅で、箱根ロープウェイとの接続駅です。強羅から箱根登山鉄道早雲山ケーブルカーで早雲山駅まで行けます。割安の一日券や二日券ではここまでは利用できます。
早雲山
 早雲山駅は大正10年(1921)12月1日に上強羅駅として開業し、大正15年(1926)に早雲山駅に改称しています。大涌谷や、芦ノ湖近くの桃源台まで行くこともできます。
早雲山
 早雲山駅の向かい側には箱根早雲山美術館があります。唐三彩や青白磁(せきはくじ)など中国の古代の陶器やヘンリー・ムーアのリトグラフなどを収蔵しています。
早雲山



大涌谷
おおわくだに
神奈川県足柄下郡(あしがらしもぐん)箱根町
Tel 0460-85-5700 箱根町総合観光案内所
 大涌谷は箱根火山の名残をとどめるエリアです。強烈な硫黄臭や立ちのぼる白煙、ボコボコと噴き出す温泉などが火山の底知れないパワーを垣間見せてくれます。
 箱根登山鉄道で強羅まで行き箱根登山鉄道早雲山ケーブルカーで早雲山駅まで行きます。そこで箱根ロープウェイで大涌谷まで行けます。
 大涌谷付近の高さは地上130mで眺めがよいので知られています。箱根連山や相模湾まで一望のもとに眺められます。
 大涌谷から姥子を経て桃源台まで行けるようになっています。全長は4035m、世界有数の長さを誇るロープウェイです。
 約4000年前に起きた箱根火山活動の最終期にできたのがこの大湧谷です。大湧谷を中心に、江戸時代には箱根7湯、現在では掘削が進み17湯から19湯の温泉地になっています。
 箱根連山の最高峰1438mの神山(かみやま)の爆裂火口跡でもあります。 今も噴煙が止むことなく吹き出しています。
 大湧谷駅前の大駐車場を起点として一周約40分の大湧谷自然探求路が設けられています。
 大涌谷は芦ノ湖と並ぶ箱根を代表するビュースポットです。箱根の山々を従えた雄大な富士山を展望でき、40万年前の火山活動の名残りを今に伝える噴煙地も魅力たっぷりです。
 一つ食べれば7年長生きするという有名な、真っ黒なくろ玉子です。温泉の中で10分から15分ゆでます。
 温泉に含まれる硫化水素と鉄分が結合して硫化鉄となって自然に黒くなるのです。温泉から出してさらに5分ほど蒸すとおいしい玉子が食べられます。
 くろ玉子は駐車場の売店でも売られています。鮮度を保つため専用のケーブルに入れて空中を使って運ばれていました。
 噴煙上げる冠ヶ岳山麓です。大涌谷の香りは、香り100選に選ばれています。
 昔は「大地獄」とよばれていましたが、明治6年に明治天皇・皇后両陛下が箱根に御静養に来られる際に「両陛下がお出になる地に地獄があってはおそれ多い」と大涌谷と改称されたそうです。
 昔は高い木があった林が大涌谷ができて地温が上がり有害なガスも発生したためにブナなどは枯れてしまいました。ノリウツギ、アセビ、リョウブ、サラサドウダンなどは生き残りました。



芦ノ湖
あしのこ
神奈川県足柄下郡(あしがらしもぐん)箱根町
Tel 0460-83-6265 芦ノ湖遊覧船箱根園港
 約50万年前に始まった火山活動は冠ヶ岳、神山、駒ケ岳を形成し、3千年ほど前の爆発で川を堰き止め周囲20kmのカルデラ湖を作りました。これが芦ノ湖です。
 南岸の杉並木街道から眺める「逆さ富士」は、箱根の絶景の一つです。虹マス、ブラックバス、わかさぎ等が生息しており、多くの人が釣りを楽しんでいます。


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